園外保育の情景(園の紹介カテゴリのイメージ)

知・情・体 三位一体

京都きらら学園は、知・情・体 三位一体の総合教育を実践しています。「知」は、頭で考える。「情」は、心で感じる。「体」は、身体を動かす。動き・言葉・リズム、この3つを使って、知・情・体をバランスよく伸ばし、人間としての根っこの力を育みます。

子ども任せの自然主義自由教育でも、詰め込み式の知育偏重教育でもありません。人間性の核になる「豊かな脳」を育て、知・情・体ともにバランスのとれた子どもを育てる、当園のこの教育理念について以下に詳しく述べたいと思います。

知・情・体 三位一体の図
「うごき」のイメージ画像
豊かな環境で身体を育む
「ことば」のイメージ画像
遊びで言語感覚を身につける
「リズム」のイメージ画像
リズムを感じ心を培う

幼児期の脳

私たち 京都きらら学園が、いま進めようとしている教育は、端的にいって、たくましい脳を育てる教育、ということができます。

でもそれは、「脳を育てる」という言葉によってどうしても誤解を受けやすい、底の浅い知識や技術の教育ではなくて、知性や情操、あるいは運動機能など、いわゆる人間性の核としての「脳」を、大きく、たくましく、豊かに育てていこうとする教育であるということを、まずご理解いただきたいと思います。

一般にすべての子どもは、百四十億とも百五十億ともいわれる膨大な数の脳細胞を持って生まれてくるといわれています。もちろん、これほどの数の脳細胞も放っておいては何の役にも立たないもので、まわりの環境である刺激が適切に働いて、それぞれの神経繊維が芽をふいて、それが互いにからみあい、配線が密になるなかで、はじめて脳は発達していくというわけです。こうした大脳の発達は、通常三歳頃までに60%、六歳頃までに85%、十歳頃までに90%、そしてあとの10%は、二十歳ぐらいまでにゆるやかに成長していくのだといわれています。子どもが生まれてから小学校に行くまでの間、この間こそが実は、脳すなわち、人間としての骨格が形成される、もっとも重要な時期であるといえるのです。

根っこを育てる

いま人間の根っ子を、大きく育てる。人間の根っ子とはいったい何なのか、ということですが、それはいわば、豊かな感覚を育てる、あるいは知性や理性といった、いわゆる人間性の基礎を育てる、ということになるでしょうか。

たとえば言語感覚について、説明いたしますと、私たちは、子どもたちの生活環境の中に、絵本や日記、フラッシュカード、プリントなどを利用して、積極的に言葉や文字を導入していますが、これは決して言葉や文字をたくさん、子どもたちに覚えさせるということを目的としているのではありません。言葉が豊富な環境のなかで、言葉というものの感覚、仕組みの素晴らしさというものを、肌で感じ取ってもらう。それがやがて自分で、言葉である文字を、自分のなかに取りこんでいく、文章によって表現していくための力となるものを育てているということなのです。

このことは、京都きらら学園におけるすべての活動に共通することでもあります。たとえば、運動神経。どれだけ速く走れるか、高く跳べるか、ということを、いまは目的とするのではなく、やがてその目的が果たされるための感覚を、子どもたちの脳に、しっかりと定着させるということこそが、いま取り組まねばならないことだと思っています。できる限りの適切な環境と経験を与えていく。そしておおらかに、気長く、子どもたちの成長を見つめていく。それが大切な育ての姿勢ではないかと思うのです。

感覚の教育

幼児教育は生活教育であり、感覚の教育なのです。決して知識、技術を注入する機会ではありません。さて、いま、日本の幼児教育には大きく分けて二つの流れがあります。

ひとつは、いわゆる自然主義自由教育というものです。子どもが幼い頃は自由にのびのび遊ばせておけばいいじゃないか、という考え方ですね。以前そのような考え方で、それなりに通用した時代はたしかにありました。昔は、ほとんどの家庭は、おじいちゃん、おばあちゃんと同居して兄弟も多く、たとえば言葉の環境ということ、ひとつとってみても、そこには多くの会話があり、子どもたちが言語感覚を磨いていくうえで、それなりの教育的効果があったと思うのです。のびのび走り回るだけの野山、自然も充分にありました。それがいまはどうでしょう。核家族化はどんどん進行して、兄弟の数は、いまは平均して一家に二人いないそうです。自然についてはいうまでもありません。やはり、この自然主義自由教育という考え方は、現代という時代への認識が欠けているように思われてなりません。同時に、子どもの可能性というものを、むしろ大人の手で摘んでいるような気さえするのです。

さて、もうひとつは、知育偏重のつめこみ教育といえるでしょうか。子どもの教育は早ければ早いほどいい、といわんばかりに文字や数を子どもたちに詰め込もうとする。子どもたちの吸収力には、たしかに驚くべきものがあります。ですから、詰め込まれたものもそれなりに、自分たちのものにしていくでしょう。でも、それは、それだけのこと。小さな根っこの木に、太い幹は育ちません。又、大きな実をつける事もできませんね。あげく、小学校二、三年にもなれば、幼児のときどんな教育をしていても結局同じ事だ、といって嘆く。ここでいちばんかわいそうなのは、子どもたちではないでしょうか。

終わりに

繰り返しになりますが、幼児教育は知識や技術の教育ではありません。それ以前の、知性や理性を啓発するものとしての感覚の教育でなければならないと思うのです。幼児の脳の発達の過程を決して見誤ることがあってはならないと思います。

そこで私たちの幼児教育は、知育や体育という、限定された分野のみに力を入れるものではなく、知・情・体という三者が三位一体となるなかで、総合教育の名のとおり、バランスのとれた成長をうながすものでありたいと考えています。脳の発達の特徴は、身体を動かす、頭で考える、心で感じる、そういったそれぞれの活動が、実は別個の働きではなく、それぞれが密接にからみあい影響を与え合う、というものなのです。身体を動かすということが、すなわち頭の働きをうながし、日記を書く、作文を書くという知的な活動が、一方で豊かな情感を刺激しているのです。つまり、豊かな環境と、バランスのとれた豊かな経験、すなわち豊かな日常の生活こそが、子どもたちの大切な脳を、刻一刻と育てているのです。